球が散らばるので、弾道が気になっていた。
でも、「確変入る」と、弾道などどうでもよくなってしまう。
音と感触がよくなると、猿のように打ち続けてしまうので、ちょっと困る。うーん・・・。
それくらい気持ちのよい感触。それくらい異質な、澄んだ音。
あまり自覚していなかったが、鬼教官系クラブを使用していれば、この変化は偶然現れることもあるだ。
しかし、私は音と感触として自覚していたのではなく、結果(距離)としてしか認識していなかった。そう何度も起こっていたわけではなかったし、得られる結果に我を忘れてしまうのだから、仕方ないと言えば仕方ないのかもしれない。
でもそれはあくまでも偶然なのだろう。正しい手順で得られる必然とは、結果としては似ているようでも、まったく異なるものとして認識せざるを得ないようだ。
フェースを開いたり閉じたりして、偶然生まれたヘッドの姿勢によって生じた結果は当然偶然だと思う。偶然発生してしまうことはあっても、もう一度やろうとしてもできない。前提が間違っていたら、例えよい結果が出たとしても、もう一度よい結果を出すのはやはり難しく、連続して結果を出すのは無理なのではないか。でも保とうとして保ったヘッドの姿勢によって生じた結果は、必然じゃないのか。だから連打できるんじゃないのか。
そうこうしているうちに、呪いが襲ってくる。妖しく銀色に光を放つ、軽い鉄棒と軽い鉄頭の呪縛なのか。せっかくできているのに、自分の力でやろうとしてしまうようだ。至福の時が途切れると、すぐに戻りたくなり、すぐに戻ろうとして、動きが速くなる。結果が出ないと、距離が出ないと、さらに自分の力でどうにかしようとしてしまうのだ。こうなってしまうと、打席に立って球を打ち続けている限り、そうそう抜け出せなくなる。呪いは、かーなーりー、強い。
私の場合、呪いの始まる合図は切り替えしのようだ。切り替えし付近での失敗は、だいたいコスリ球となるようだ。当然感触は悪く、音も濁り、右に曲がる。呪いの始まりでは、それほど曲がりは大きくないが、体は敏感に反応する。
一刻も速く、あの感触を取り戻したい。一刻も速く! で、テークバックが速くなる。テークバックのスピードに、私の筋力では付いていけない。クラブを体の中に保てない。クラブが体の幅から外れる。自分から見て右側に。鬼教官はその瞬間を見逃さない。天使が悪魔に変わる。ほくそ笑み、鞭を振るう。瞬時にクラブが重くなる(3FREEZE!)。その重さに耐えられないことを知っている私の体は、重さに抵抗する。筋肉が重さを支える。力が入る。鬼教官は高笑いしながら、さらに鞭を振るう。重さに耐え切れず、自分でクラブヘッドを球にぶつけようとする。鬼教官の笑いは止まらない。鞭も止まらない。ヒッカケとプッシュスライスも止まらない。涙も止まらない。
呪い、いや、条件が揃うと発動するプログラムなのかもしれない。軽い鉄棒と軽い鉄頭によって、すこしずつ刷り込まれ、トロイの木馬のように姿を隠して私の頭に進入したウィルスは、常に発動の機会を待っているようだ。
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